フィリピンの海 2005年

フィリピンは北回帰線よりはるか南にあり北緯5度から18度あたりに散らばっている7,000余の島々から成る国です。
成田から約4時間でマニラ空港に到着します。最近は日本からセブ島への直行便もあるそうです。日本との時差は1時間です。
今回1月に行きましたが1月、2月はフィリピンでは過ごし易い時期だそうです。
日差しはやはりかなり強く感じましたが、薄曇りの日が多かったせいか暑さに悩まされることはありませんでした。
今回2005年1月から2月に掛けての私のフィリピンへの旅は太平洋戦争の戦没者の慰霊巡拝が目的です。
私の父は日米の決戦が行われたレイテ島で昭和19年11月に戦死しました。
しかしこのホームページは戦争や慰霊巡拝を目的としたものではありませんので、今回の旅で撮影したフィリピンの海の写真を
載せるに止めます。

レイテ島の太平洋側の海岸

同じく漁村の風景

こんな大きな漁船もありました。

こういう船を現地ではバンカというそうです。

セブの海岸にて ここでの停泊は皆沖係りでしたが伝馬船はどんな船か見る機会がありませんでした。

普段は砂浜から引っ張り揚げているようです。両脇の浮は竹筒です。

マニラのヨットハーバー
ルソン島のマニラにはヨットハーバーがありました。マニラ湾は西に向って口を広げた大きな湾です。そのマニラ湾のマニラの中心街に
面した場所にこのヨットハーバーはあります。正確な情報ではありませんが年会費が300万円(もしかしたら入会金かも?)だそうで
会員にはマニラ在住の日本人もいるそうです。
写真は左から順に右方向に撮影していったものを縦に表示しています。





ホテルの窓から撮影したマニラ湾に沈む夕日
このホームページは戦争がテーマではないと書きましたが、最後に少しだけ触れたいと思います。
フィリピンだけではありませんが、フィリピンには50万〜60万の日本軍将兵がきて戦争になり多くの犠牲者を出しました。
特にレイテ島では8万人の日本将兵の内95%以上が戦死したとも言われています。
その陰ではそれ以上の数のフィリピン人が犠牲になって死んだそうです。
レイテでは日本兵が米軍に向けて銃で1発打つと、千発以上のお返しが米軍から打ち返されるというほど圧倒的な火力差の
中で日本兵は苦難の戦いを強いられたそうです。
日本兵の隠れるところは土中に掘った穴の蛸壺だけで、銃弾に当たったり、砲弾の直撃を受けて肉片となって飛び散ったり
蛸壺の中で焼き殺されたり、それは凄惨な戦いだったそうです。戦争は狂気そのものです。その国力の差から考えれば
負けるに決まっている戦いに日本を巻き込んだ、当時の日本の指導者たちの愚かさははかり知れないものがあります。
多くの日本人を死地に追いやったその当時の指導者まで靖国神社に祀ってあるのは、どういうことなんでしょうか?
その靖国神社に現在の首相が参拝にいくのに割り切れなさを感ぜざるを得ません。
1兵士の遺族としては首相に参拝して欲しいのですが、同じ神社で当時の指導者にまで参拝するとなると納得しかねます。
小泉首相の参拝はそこのあたりを明確にはしていないのではないでしょうか。
とにかく今後も戦争だけはなんとしても避けたいと思います。現代の若者は戦争の悲惨さを知りません。
かって日本は戦争で解決しようとして失敗しました。今アメリカが戦争で事を解決しようとしています。
アメリカの経済的利得という呪縛を振りほどいてでも、日本の国の進むべき道を見直すべき時期ではないでしょうか。